|
by cannon26 カテゴリ
検索
以前の記事
ライフログ
最新のトラックバック
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
2004年 12月 05日
淡路人形浄瑠璃「ご祝儀戎舞い」
サイト:三原町商工会(兵庫県三原郡) 撮影時期:? 撮影場所:? 演:淡路人形浄瑠璃青年研究会 時間:0'38"-0'55"-0'52"(3つのファイルに分割) 形式:real player 備考:その他、鬼一法眼三略の巻「五条橋の段」、傾城阿波鳴門「巡礼歌の段」もあり ■解説 室町時代末、百太夫と言う西宮戎神社に仕えていた傀儡師(人形遣い)が三原の地に伝えたのが始まり。18世紀のはじめには、44座の座元が覇を競い、淡路島のみならず、日本全国を巡業し発展。大阪の文楽、徳島の阿波人形なども淡路から伝わったものである。全国各地に約80座の淡路人形系の人形が今も残る。 ■参考 南あわじ市http://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/subpage.php?p=4232&t=1110546045 淡路人形浄瑠璃館http://www61.tok2.com/home/awajipt/ 2004年 12月 03日
円通寺人形芝居「大黒舞」
サイト:鳥取県立博物館 撮影時期:1996年3月10日 撮影場所:鳥取市円通寺 時間:10'48" 形式:real player 備考:解説字幕あり 制作:鳥取県立博物館 ■解説 鳥取県無形民俗文化財にも指定されている円通寺人形芝居は、江戸時代初期に始まったといわれ、三味線、太鼓、胡弓の演奏で、円通寺念力節(がんりきぶし)という独特の節回しで人形を操る。 人形遣い、囃子方、座方太夫と合わせて七人で演出する形態は全国的にもまれで、人形の演出方法、舞い方などに文楽以前の古典的庶民芸術としての古い形式を残す。 ■参考 円通寺人形芝居http://www1.odn.ne.jp/~ced83290/ 2004年 11月 21日
根反鹿踊(ねそりししおどり)
サイト: いわての文化情報大事典 撮影時期:? 撮影場所:岩手県一戸町根反 時間:2'15" 形式:RealPlayer ■解説 鹿踊は、舞手が太鼓を持って躍る「太鼓踊り系」と、太鼓を持たず身体を被う幕を内側から動かして踊る「幕踊り系」に大別され、前者は主に県(岩手)南地方の旧仙台藩領に、後者は主に遠野市を南限とする旧盛岡藩領に伝承されている。根反鹿踊りは幕踊り系に属する。 伝承によれば、戦国時代、敵の大軍に攻め込まれ苦戦していた時、角に松明をゆわえた鹿を先頭にして敵陣に駆け込み大勝利を治めたため、この鹿をたたえて踊りにしたのが鹿踊りのはじまりだといわれる。根反には今から400年程前、戦国時代に加賀国の修験者によって伝えられたといわれる。 踊りは、鹿頭7人、太刀2人、ササラ1人の10人が踊り手で、その他に太鼓、笛、先払も含め総勢15人。最初10人の輪踊りから太刀2人が踊り、最後に雌と雄の鹿が踊りますが、この最後の踊りは雄が雌を手に入れるための争いを表現したもので、特に勇壮な踊りである。 ■参考 岩手県一戸町御所野縄文公園http://www.town.ichinohe.iwate.jp/goshono/siteiitiran/nesorisisiodori/siteiitiran_nesorisisiodori.htm 2004年 11月 20日
菅窪鹿踊(すげのくぼししおどり)
サイト: いわて宮古広域観光ホームページ 撮影時期:? 撮影場所:岩手県田野畑村 時間:00'50" 形式:RealPlayer ■解説 鹿踊は、舞手が太鼓を持って躍る「太鼓踊り系」と、太鼓を持たず身体を被う幕を内側から動かして踊る「幕踊り系」に大別され、前者は主に県(岩手)南地方の旧仙台藩領に、後者は主に遠野市を南限とする旧盛岡藩領に伝承されている。菅窪鹿踊は「幕踊り系」に属し、一人立、8頭で構成する。本来は夜間にかがり火を焚き、 その光を金箔を張った鹿の角にきらめかせながら踊るものだが、そのような機会は少なくなっている。 菅窪鹿踊は、鹿島神社(茨城県)に伝わる「鹿島鹿踊」の流れをくむものと言われている。建久2年(1191)、源頼朝の命によって田野畑の大芦の地にやって来た武蔵国秩父の庄(埼玉県)の畠山重忠率いる畠山氏一族によって鹿踊りが伝えられたという。嘉永5年(1852年)、大芦で一番の踊り手だった大工の常五郎が菅窪に移り住んで鹿踊りを伝え、菅窪鹿踊が始まったと伝えられている。 通常の鹿踊では、頭の形が獅子と鹿の中間であるのに対して、この踊では本物の鹿を模したものとなっており、全国的にも四国宇和島に見られるだけで、非常に貴重なもの。 昭和63年4月5日、岩手県指定無形民俗文化財に指定。 ■参考 田野畑高校http://www.michinoku.ne.jp/~tanohata/odori/o02.html 田野畑村http://www.vill.tanohata.iwate.jp/tanohata/contents/f_140/f_060/p_10 いわての文化情報大事典http://www.bunka.pref.iwate.jp/dentou/kyodo/index.html 2004年 11月 12日
江刺鹿踊(えさしししおどり)
サイト: 岩手県江刺市 撮影時期:? 撮影場所:? 時間:2'48" 形式:WMP 備考:ナレーション付き。他に解説映像(3'10")もあり。 ■解説 現在、岩手県には「鹿踊り」と名の付く芸能が130あまり受け継がれている。「幕踊系」と「太鼓踊系」の二種類があるが、江刺市に伝わる鹿踊りは「太鼓踊系」に属するもので、通常1組8人で踊るため「八ッ鹿踊り」とも呼ばれる。鹿の角のついた鹿頭(ししがしら)をかぶり、長いささらを腰にさして高く掲げ、腹に抱えた太鼓を打ち囃しながら歌い舞う。大別して行山流と金津流の二つの流派があり、現在江刺市には10数組の踊り組が伝承される。 流派を超えた「百鹿の大群舞」が毎年5月3日4日の江刺甚句まつりと、8月15日16日の江刺夏まつりのときに観ることができる。 ■参考 岩手県江刺市 http://www.city.esashi.iwate.jp/main/kanko/kyodogeino.html 江刺鹿踊 http://www.rnac.ne.jp/~yanbe/shishiodori.htm 2004年 11月 04日
神力万歳
サイト:学びネットあいち 撮影時期:? 撮影場所:? 時間:5'27"+6'23" 形式:wmp 備考:神力万歳についてのインタビューもあり(48") ■解説 尾張万歳の「五万歳」のうちのひとつ。 ※知多万歳(尾張万歳)の項を参照:http://cannon26.exblog.jp/tb/875337 ■参考 日本の萬歳 http://www.pcs.ne.jp/~iseman/owari.html 知多市 http://www.city.chita.aichi.jp/kyouiku/syougai/manzai.htm 2004年 11月 03日
法華経万歳
サイト:学びネットあいち 撮影時期:? 撮影場所:? 時間:7'51" 形式:WMP 備考:その他、解説(56")の映像もあり ■解説 現在の名古屋市東区矢田町にある長母寺を開いた無住国師が、鎌倉時代の正応年間(1288~1293)に、寺の雑役をしていた村人に、法華経をわかりやすくし、歌えるものとして教えたのがその起こりとされる。その後、尾張、知多地方においてこの法華経万歳をふくめ六条万歳、御城万歳、神力万歳、地割万歳が生まれ、知多万歳(尾張万歳)の基礎を成すことになった。 ※知多万歳(尾張万歳)の項を参照:http://cannon26.exblog.jp/tb/875337 ■参考 知多市 http://www.city.chita.aichi.jp/ 知多市の文化財ガイドマップhttp://www.city.chita.aichi.jp/kyouiku/syougai/hyu-tory/bunka/index.htm 日本の萬歳 http://www.pcs.ne.jp/~iseman/owari.html 2004年 10月 20日
越路雨乞踊(こえじあまごいおどり)
サイト:鳥取県立博物館 撮影時期:1993年10月31日 撮影場所:鳥取市越路 時間:4'26" 形式:real player 備考:説明ナレーションあり ■解説 雨が授かったことを神に感謝する踊りとして伝承されてきた。宝暦6年(1756)が記録に残る最古。行事は、「ささら摺り」を先頭に、踊りの総指揮者である「新発意」を中心とする50人ほどが神社へ行進する。境内での本踊りは、円陣をつくり、花笠をかぶって締太鼓をたたきながら格調高く優美に踊ることを特徴としている。 ■参考 鳥取文化財ナビ http://www.pref.tottori.jp/bunka/navi/shousai/cultural.php?cultural_id=270&condition=COND155691616 2004年 10月 18日
加賀万歳
サイト:いいねっと金沢 撮影時期:('95.1.8にテレビ金沢で放送) 時間:1'11" 形式:QuickTime ■解説 越前万歳の流れをくむ。 越前万歳は、加賀百万石の祖・前田利家が府中(現・武生市)に在城していたころ、毎年の正月の恒例行事として行われていた。その後、利家が金沢に封ぜられた際、当地に伝わる。 文化文政(1804~1829)の頃、金屋町の宝生流・能楽者の大石藤五郎がこれをさらに発展させて地万歳、すなわち加賀万歳となって定着させる。そのため、加賀万歳は能楽の影響を受けて、舞や語りがユーモアのある中にも風格をもったものとなった。 「太夫」と「才蔵」の掛け合いで祝言を謡い舞い、太夫は黒漆で固められた小さめのかぶりものである「烏烏帽子」を、才蔵は真っ赤な「大黒頭巾」をかぶり紋付き袴で演じる。小太鼓を用い、鼓は使わない。また、御殿万歳を身上として、通常、座敷でしか唄ったり舞ったりしないことになっている。 ■参考 いいね金沢 http://www.kanazawa-kankoukyoukai.gr.jp/kagahan/dentou/geinou03.html 日本の萬歳 http://www.pcs.ne.jp/~iseman/kaga.html 2004年 10月 11日
伊予万歳 「十二干支豊年踊り」「松づくし」
サイト:愛媛新聞社ONLINE 撮影時期:? 場所:愛媛県松山市河野別府 演:伊予別府万歳双葉会 時間:4'32" 形式:WMP 備考:説明字幕あり ↓こちらにもあり 伊予万歳 サイト:愛媛県庁 撮影時期:2004/10/9 場所:愛媛県民文化会館(まなびピア愛媛2004開会式) 演:伊予別府万歳双葉会 時間:10'52" 形式:WMP 【メモ】知多万歳(尾張万歳)から派生したもの。万歳と称されるが、まんま舞踊です。その他の万歳に見られる太夫と才蔵の掛け合いの要素がない。なんで踊りだけ(伴奏と唄はあるけど)になったのだろう。あと、特徴的なのは女性がメインになっている事。華やか。 ■解説 舞台上手に太鼓・三味線・拍子木の奏者が座り、唄を歌う。その軽快なリズムと唄に合わせて2~10数人が舞う。かつては、門付けもやっていたが現在は舞台で見せる芸能に変わってきた。 発祥は愛媛ではなく、愛知県の「知多万歳」とする説がある。寛永年間(1624―43年)、松山藩主久松定行が知多の尾張万歳太夫を招き、年始祝いなどをしたのが伊予万歳としての始まりという。松山藩領内で発達し、戦後は東南予にも広まった。演目は20近く、人気があるのは「十二干支豊年踊り」と、各地の名物松を歌って目出度さを祝う「松づくし」 ■参考 日本の萬歳 http://www.pcs.ne.jp/~iseman/iyo.html
|